青森県の浅虫温泉からほど近い場所にある塩釜神社を探しに行ってみました。
ネットで調べた住所をiphoneのマップに入力し、示した場所に行ってみたのですが、そこは神社なんて全然なさそう。仕方ないので港の近くで朝のゴミ出しをしていたオカアサンにお聞きしたら、「この上の道をずーっと行けば鳥居があるから分かる」と教えてくれました。
「塩釜神社」は、ここに住んでいる方に守られている神社のようで、毎年4月17日と10月17日の例祭には村の人たちがお祓いを受けにいくのだそうです。この平内町茂浦で生まれ育ったというおばあちゃんに教えてもらいました。(そのオカアサン近所のおばあちゃんをが呼んでくれた。)
さて、港の漁協の前にクルマを駐めさせていただき神社を目指します。
あの山の中腹にあるはずです。
ちなみに、この青いのはホタテの養殖に使うカゴです。
意外とすぐに鳥居が見えてきました。
確かに「塩釜神社」です。
社殿とその右手には大きなイチョウの木
さきほどのおばあちゃんが、秋になるとイチョウが黄色く色付いて神社の場所がすぐに分かるんだけど、と津軽弁?でおっしゃっていましたが、私には理解できました!
失礼して、社殿の中を覗かせて頂きました。
現在は宮司さんはおらず、近くの神明社の宮司さんが兼務されているそうです。
社殿の裏には奥の院があります。
その奥の院からは港が一望できます。
毎年1月16日には裸参りが行われ、神社を詣でた男衆は部落内を回って海に入り、それを3回繰り返して無病息災と大漁を祈願するそうです。
最近では、裸参りをする人も少なくなり、なんせ子どもが少ないから、と先ほどのオカアサンおっしゃってました。小学生はスクールバスで離れた小学校に通い、この地区にあった小学校の建物は福祉施設として活用されています。
漁協前に戻ってきたら、水揚げした大量のホタテをトラックに積み込んでいるところでした。
世が戦国時代だった頃に創立されたこの塩釜神社は、地域の人たちに守られて存続してきました。これからもこの地に住む人々をずっと見守っていて欲しいですね。
以下に、神社の由緒を転記しておきます。
由 緒 | ||
この神社は天正十三年の創立、 建主須藤三九郎、 同十左エ門、 釜師浪岡六兵衛外村中、 一時中絶のところ寛永十一年塩釜の址から銅像の観音 (一尺五寸) 出現、 この旨お上申別堂の造立仰付られ、 現在地に社殿を新築して遷座、 日光院四代山名法印、 造主須藤三郎兵衛外村中、 いつの頃か、 岩木山神社の分霊と伝えられる小像の御神体が同座している。 茂浦島の弁天堂宝暦八年創立、 日光院八世延常法印、 造主須藤権三郎外村中、 この神社は明治初年法令によって廃社となったが、 その後小堂を建立。 終戦後御堂及び鳥居再建、 造主後藤岩五郎。 昭和十年十月十七日、 本殿が拝殿内に併設されていたがこのとき本殿を離して別棟に新築遷座。 社掌佐々木要 (十三代)、 同三十四年十月十七日、 本殿玉垣新設及び拝殿修改築。 宮司佐々木高精 (十四代) 大工頭領須藤金次郎、 大工佐々木茂光。 |