しおがまっ子通信に載ってた。
塩竈神社の「宮」と多賀城の「城」が由来とあるが、他にどんな説があるのだろう?
米を蓄える倉庫から出た屯倉(みやけ)が大和朝廷の直轄領を意味し、それが転じて「みやぎ」になったという説。
国府多賀城が「陸奥の遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれていて、朝廷=宮に置かれた城なので宮城となったという説。
ではなぜ陸奥の国府を「多賀城」と名付けたのか?(これも諸説あります)
同じ「遠の朝廷」と呼ばれた太宰府は、なぜ城と名付けられなかったのか?
考えるとますます面白くなってくる!
【参考文献】
みやぎ地名の旅 太宰幸子著 河北新報出版センター
宮城県謎解き散歩 吉岡一男編著 新人物文庫